宗旨 | 浄土宗 |
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山号 | 獅子吼山(ししくさん) |
寺号 | 轉法輪寺(てんぽうりんじ) |
通称名 | 関通さん |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 宝暦八年(1758)四月、桃園天皇の時代 |
開基 | 関通上人 |
當山の歴史
當山の開基である関通上人は初め洛陽の東三本木の邊りにある轉輪寺(今の三本木円通寺)におられ、そこで專修念佛の法門を世の人々に説き示されておられました。歳と共に歸依の信者は増え、その地の狭隘を感じるようになり、どこか格好の所は無いものかとあちこち探されましたが、相応しいところがなかなか見つかりませんでした。そんなある時、ふと通り過ぎた地が洛陽の西の方、而も一条通りの突き当たり北野の地であることに気づかれました。「この所こそ求むる西方にして、究竟一乘の浄土門弘通に最も適せる勝地なり」と、この地に念佛道場をと幾たびが懇請され、ようやく宝暦六年(1756)の春、当時既に廢寺となっていた円通寺というお寺を譲り受け、彼と此との寺名を換えて、そこに轉法輪寺と名づく寺を草建することを決意されたのであります。その後、様々な方の歸依を受けて宝暦八年四月、殿堂庫裡の竣工を遂げ、本尊阿彌陀如來の新彫成って開眼供養並びに入佛大會の法要を勤修されたのであります。
時は大正の頃、北野轉法輪寺は後に総本山知恩院門跡となられる山下現有僧正を住持に迎えさらなる隆盛の時期にありました。関通上人の時代には京の西の果てであった北野の地もその当時には既に町中にあり、轉法輪寺の阿弥陀様は西方におられるべきとの声のもと、更なる西方である御室へと移転することとなりました。既に山下僧正は知恩院に登られ、その御弟子であり当時轉法輪寺住職であった山下俊孝和尚を中心として山下僧正初めとして多くの方の御歸依を得て無事御室への移転を完遂することができたのであります。時は丁度大正の時代から昭和へと移り変わりを迎えるそんな時でありました。